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短編 その(二)

 


   「ヴェドリンよ、
   お前がこの世に生まれた訳は
   この世に願いが積もらぬよう、
   思いの波にただよいて、
   その羽ばたきの続くまま
   世の願い、みな叶えさせ、
   願いを消すのが役目なり。

   ヴェドリンよ、
   何も思わず、
   何も見ず、
   何もしないのがお前の仕事、

   願う思いはお前を吸い寄せ
   そしておまえは羽ばたけばよし、

   ヴェドリン
   ヴェドリンよ、
   汝の名はヴェドリン」

           ~~*~~*~~*~~

 あるアパルトマンの二階に、透明になりたいと願っている女性がいました。
別に醜いわけではありません。
或る人と思いを遂げるには、それしか方法がなかったのです。

 ヴェドリンが彼女の肩先をすっと飛び去ると、彼女は見る間に蜻蛉の羽のように透明になってしまいました。
彼女は有頂天になり、世間の全てから姿をくらまして、そして熱い思いを遂げに行きました。

 夢のような日々も束の間、目に見えない彼女は、居るのかと思えば居なくて、居ないのかと思うと側に居るので、次第にうとましがられるようになりました。
美しいその顔も忘れられ、やがて彼女の全ては忘れられてしまいました。

 彼女は落胆し、元に戻りたいと願いましたが、ヴェドリンが叶えた願いは、ヴェドリンにも消すことはできません。

「ああ、私はなんて馬鹿なんでしょう。
でも、もう一度、あの人にこの姿を見せることが出来たなら、きっとまた、あの人の心も戻るはず……。」

 彼女はその人と一緒に、天に昇ることを願いました。
そして次の大吹雪の夜、ヴェドリンは二人を天に昇らせました。
雪の中で凍えて冷たくなった男の傍らに、こんもりと積もった人型は、とても美しい女の姿でした。

 ヴェドリンは雲の上まで二人の魂を見送って、そしてふと下界をみると、そこには夫をなくして途方に暮れる妻と、その子ども達の姿がありました。

「お父さんを返して……」

 子ども達の願いを叶えることが出来ないヴェドリンは、ちょこんと首をかしげました。
だって、ヴェドリンには何も分からないんですもの。
 ただ、その妻の願いは、すぐにも叶えることが出来ました。
妻は子ども達のために少しの金貨と、そして新しい父親を望んだのです。

           ~~*~~*~~*~~

 今のはちょっと残酷な例でした。
ですが、別にヴェドリンが悪いわけではありません。願いの強さが、ヴェドリンを引き寄せてしまっただけなのですから。

 ヴェドリンは天使と妖精のあいの子です。
天使のように無垢で、妖精のように気まぐれで悪戯です。そして世の中すべての願いを叶えてしまいます。
それは、取り立ててお仕事という訳ではありません。ヴェドリンが感じてしまった願いは、何でも自然に叶えられてしまうのです。ですから、たとえそれが悪い事でも良いことでも、まったく区別はつけられません。

犬に恋したインコが、頑丈な鳥かごから抜け出して、噛み殺されてしまったり、空を飛びたいと願った鯉が、池の上に飛び上がって息絶えてしまったり。たとえばそんなような事は、日常よくあることですから、誰もそれがヴェドリンの仕業とは思いません。

 ただ、困ったのは人間の願いです。願いが強ければ強いほど、ヴェドリンの羽を大きく振るわせてしまうので、たまには戦争が起こったり、暗殺が成功したり、思いがけず素晴らしい発明が成されたり、驚くような奇跡や事件が起こったりするのです。

 結局、願いという物は、それほど強く願ってはいけないものなのかもしれません。願うより、行うことが先なのです。行えば、その結果として願いがかなうのですから、その方がより真実の願いに近いものを得られるのでしょう。

どうもヴェドリンの力を借りると、うまく行かないことが多いようです。
もちろん例外もありますが……。

           ~~*~~*~~*~~

 すももの香りがする南風にのって、ヴェドリンがふんわり舞い降りたこの村には、何も願い事がありません。人々は黒ずくめの質素な服を着て、ただ黙々と働いていました。別に囚人の村ではありません。この村の人々の心には感謝しかなかったのです。

人間はこの村を『幸福な人々の村』と呼んでいましたが、そんなことはもちろん、ヴェドリンの知ったことではありません。

 ヴェドリンは干し草の上にちょこんと乗っかって、荷馬車に揺られていました。
御者は今日の仕事のつつが無きを感謝し、横に座った妻は、膝の上の赤ん坊が元気に乳をすっていることに満足していました。
欲という願いのない村はとても静かで、妙に眠たくなってしまったヴェドリンは、うつらうつらしているうちに、すっかりその干し草のなかに埋もれてしまいました。


 やがて、夕闇が迫り、馬車は馬ごと馬屋に引き込まれ、がちゃんと鍵がかけられました。その音で我に返ったヴェドリン。
あれれ、干し草だらけです。
もみくちゃにされて、よれよれのヴェドリンの羽の先に、かすかな願いの波がただよって来ました。その主はさっきの馬でした。

「あーぁ。毎日毎日荷車引いて、ほんとにつまんねぇー。この黒い身体もあちこち虫はつくし、まったく……。ちくしょーめ。
もしもこの村を出られたら、どんなエサが喰えるのかな。もっと美味しい物があるには違いないが……どうしてこの干し草もウメーもんさ。
村の外にゃ鉄の馬がブーブーいって走っていやがったなぁ……。アイツといつかは競争したいもんさ。もちろんおいらの方が力は強いだろうがなぁ。」

 何やらブツブツと文句を言いながら…、尻尾でハエを追いながら…、モクモクと飼い葉を食べながら…、でもその馬は、これと言ってヴェドリンの気をひくほどの願いは持っていませんでした。
ヴェドリンはあくびを一つして、羽に着いた藁屑を羽ばたき落とし、そしてその小屋から抜け出しました。


 外に出ると、村の家々には暖かな灯がともり、それぞれの家族は穏やかな夕食の団欒に包まれていました。
ヴェドリンは、二階の窓が開いている一軒の家を見つけました。スーッと舞い込んでみると、そこは書斎のようでした。

 窓際にある、本箱を背にした古い机の引き出しの中に、ひたすら願う気持ちの波がありました。ヴェドリンが力一杯引き出しを開けると、その波は急に大きな鼓動にかわりました。

「ああ、ご主人様、今日も私を手にとってくださるのですね。
どうぞ、お待ちしていました。ああ、どうしてこう胸が高鳴るのかしら。
さあ、今日も私はご主人様の温かい手のなかで青い血を流し、そしてお役にたちたいのです……。」

 太くて黒い、そしてとても古びたペンでした。
机の上には、たしかに日々書き溜められた、というか書き殴られた、便箋やらノートやらがちらかっていました。
ペンはなおも願い続けました。

「ああ、ご主人様。私の願いはただ一つ、あなた様の書いた文字が、私に読めたなら……。
私の美しい青い血で綴られたあなた様のご本。一目読むことが出来たなら、もう私一生、この机の奥にしまわれてしまっても良いくらいですのに……」

 そのペンは盲目でした。
例によって、ヴェドリンが羽ばたこうとしたその時、この家の主人が書斎のドアを開けました。
主人はつかつかと机の前まで来ると、開けっ放しの引き出しに小首をかしげましたが、そのまま無造作に黒いペンを取り出しました。
その間にすかさず、ヴェドリンはペン先に微かに触れて、羽ばたき飛び去って行きました。

 主人は書きかけのノートを取り出すと、おもむろに椅子に座り、何やら独り言を言いながらペンを走らせ始めました。
もちろん、ペンはさっきのヴェドリンの羽ばたきのお陰で、自分の青い血の跡が読めるようになっていました。

「……、そして私は今日の日を恨む。
この生活の穏やかさは私のものではない。神はいない。神はいないのだ。報われない生活、家族、そして人生。何が希望なのか……、何を望んだらいいのか……、そんなものはもうとっくに忘れてしまった。
日々の営みは昨日も今日も、そして明日もたぶん穏やかに進むだろう。しかし、望みのない生活は、もはや私の死を意味している。神は果たして、それを望んでおられるのか……。……」

 そこまで書いたとき、いつも使い慣れたペン先が、なぜかかすれて思う様に書けなくなったのです。
インクがきれたのか……、とペンのお尻をふってみましたが、まだインクはたっぷりありました。

「ああ、このペンも古くなった……」

 何を思ったのか、主人は散らかった便箋に火を付け、暖炉に投げ込みました。そしてその炎の中に、あのペンも投げ込んでしまったのです。

「キャー、何をするの、ご主人様、私が何をした というのです。
ごめんなさい、ただ、ただ私は、あなた様の絶望がたまらなかったのです。何故だかそれが読めたのです。ごめんなさい、ごめんなさい……」

 メラメラと燃える炎を主人はしばらくの間、じっと見つめていました。と、次の瞬間、暖炉から何かがパチンとはぜて飛び出しました。
松ぼっくりです。
昼間のうちに子供達が、季節外れの暖炉に隠して置いたのでした。
松ぼっくりはここぞとばかりにはぜ飛んで、ただでさえ散らかっている書斎の紙達に、小さな焼けこげを飛ばし、それは見る間にブスブスと細い煙を噴き上げました。
驚いた主人はあわてて階下に駆け下り、バケツに水を汲んできて、おもいっきり暖炉に向かってぶちまけました。


 とんだボヤ騒ぎに、静かな村は一時やかましくなりましたが、それもすぐにおさまって、折れそうな三日月が、もう天の真上にさしかかっていました。
明日になればきっと、親切な近所の人達が総出で、水浸しの二階を綺麗に片付けに来ることでしょう。この村はそういう村でした。

 ペンは…、と言えば。
暖炉の中で焼けただれ、とんだ松ぼっくりに跳ね飛ばされ、挙げ句に水を掛けられて、その水に押し流され、二階の片隅でうずくまっていました。
見えるようになった目も、また盲目に戻っていました。

「ああ、見なければよかった、見えなければ……。
読まなければ良かったのですか……。
毎日ご主人様の手に触れながら、それでも今日まで、知りませんでした。
望みのない生活を……。
神への絶望を……」


 翌朝、世話好きの近所の奥さん達は、焼けこげた紙や水に濡れた書斎のゴミを、せっせと外へ掃き出して、二階は見る見る綺麗になりました。
その時、あのペンも一緒に掃き出され、ペンはクルクルところがって庭の隅の下水口に落ちて行きました。


 それから何日たったことでしょう。
主人はペンのことを忘れ、ペンは下水口の途中に横たわったまま、眠り続けました。

 暗い静かな下水口でペンが目覚めたとき、なぜかあの日の記憶はすっかりなくなっていました。
そう、きっとヴェドリンの仕業です。ヴェドリンはまた、ペン先にさわったのに違いありません。その証拠に、真っ白だったヴェドリンの服が、綺麗な青色に染まっているのですもの。もちろんそれは、あのペンのインクです。ペンは夢の中で、全てを忘れたいと願ったのかも知れません。


 盲目のペンは、下水口を書斎の引き出しだと思っていました。
そして、たまに木漏れ日が下水口に差し込むと、その温かさを感じて、こうつぶやくのでした。

「ああ、ご主人様、お待ちしていました。さあ、どうぞ私を手にとって下さい。私の幸せは、あなた様の暖かい手の中で血を流すこと。
ああ、もうそれを思うだけで私、ドキドキして、だめなの……」

 ヴェドリンはちょっと振り向いて、そして綺麗な青い服を、すももの南風に吹かせながら、願いのない村を飛び立って行きました。

                           ( End )


・・・ エピローグ ・・・ 
 私の落書きを読んでくれていたのは、行きつけのカレー屋のハル子ちゃん。

ハル子ちゃんはカレーとミートソースの下ごしらえの最中。

玉葱をしこたま大鍋で炒めていた。

「ねえ、どうだった?」

「うん………」

 ダメか。反応無し。無言。ショック……。

「そうだよね。うん……。何て言ったらいいか…」

 ハル子ちゃんは、何故かシュンとしてしまった。

「そんなに暗い?」


 そう、そうなんです。潤いが命題のワリには暗いんです。

どうしてだか、私の物語って暗くなって行くんです。

根が暗いんです、きっと。


「うん、そう。ホントにクシュン…、って感じでさ。………私、そんなに

本も読まないし、うまく言えないけど、何て言うのか、私もこういうこと

あったなぁーって思ったら、シュンとなっちゃってさ………」

「えっ……、そんなぁー」

「ううん、そうじゃなくて、願いって叶いそうで叶わない方が、いいかも、

っていう辺りなんだよね……きっと………」


 二人して、思いっきり暗くなった。

店の窓越しに見ると、外はさっきから風が強くなって、

背の低い並木の枝がせわしくなびいている。雨もパラついてきた。

時計は四時を少し回っている。


 今日はもう帰ろう……、と思った。 
りかこ