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連載小説 その(一)

連載 ヒマラヤンは暇じゃない

 

… プロローグ … 

 


 ガチャガチャ…パチン。

 昼のような照明が点き、人の気配が近づいて来た。
襟首をつかまれて、新入りが連れて来られたのだ。鉄格子が開かれ、新入りは無造作に頭から檻の中に投げ込まれた。彼は白い顔で一渡り周囲を見渡すと、おずおずとこちらへ近寄って来た。

 「や、やぁ……こんちわ」

 何がこんちわだ。ノーテンキな新入りめ。思いっきり睨み返してやった。

 「お、お休みのところすいません。あの~いったいここはどこなんでしょう?」

 知るか!こっちが聞きたいわい。

 「あのぅ、僕の言葉分かります?」

 「うるさいなぁ。こっちだって何も知らないわよ。お互い様」

 「はぁ、そーなんですか。僕、ミカエルです。よろしく」

 「そうなんだ。よろしく」

 切り口上にそう答えて、私はすぐに目を閉じた。だって、名前なんか聞かれても、あったのか無かったのか、もうとっくに忘れちゃったし……。


 「あら、あれをご覧になって。何てみすぼらしい格好でしょう」

 「ほーんとに。同じ空気を吸ってるなんて、思っただけでも汚らわしいですわ」

 「お前の来るところじゃない! 帰れ帰れ!」


 ミカエルは思いがけない天の声に飛び上がった。

 「あ、あれはいったい? 誰なんです?」

 「いいんだよ気にしないで。あいつら貴族面してるけど、結局は私たちと同じだなんから」

 「貴族? って何ですか?」

 「あんた…、お金って知ってる?」

 「知りません」

 「そんなに偉そうに言う程のことでもないでしょ」

 「あっ、すみません…」

 「あの貴族面した奴等は、お金で売られるの。で、われわれはお金じゃ買えないの」

 「・・・?」

 「でしょうね。まぁ良いよ。そのうち分かるから」


 声の主たちは、この鉄格子を見下ろす位置にある透明のボックスの中に居た。美しく刈り込まれた身体。華美な装飾。奴等はこの鉄格子の中の者達をさげすんでいたのだ。
自称ミカエル君はそれっきり。すごすごと檻の隅に座り込んでしゃべらなくなった。
 彼には偉そうに教えたけど、私だって奴等のこともお金のことも、ここへ来て初めて知ったことだ。そしてこの檻は遺伝子の素性が明らかでないものだけが入れられる、ということも……。


 少し声を出したら体が熱くなって、また全身の痒みが戻ってきた。
 うわぁ~。もうたまんない。内臓までひっかきたい感じ。

 集団生活のストレスは凄まじい。ここへ来て三日。昨日は体中が痒くて一晩中眠れなかった。
 ほんとにもう、なんていう仕打ち…。臭いし狭いし蒸し暑い。あぁ、頭が朦朧として来た。もうこのまま終わりかも…


 夜は緑色の照明。昼は影もできないほどの明るさ。延々と泣き叫ぶ奴、ガツガツと食べ続ける奴、わけもなく同じ場所を行ったり来たり歩き続ける奴。そんな鉄格子の中、私は疲れ、体を這い回る蚤を振り落とす力さえすでに無く、一番奥の壁際にぐったりと横たわるのみだった。

       **************************

 「いらっしゃいませ!」

 「いらっしゃいませ」

 「ありがとうございます!」

 「ありがとうございます」

 「はい、今日もよろしくお願いしま~す」


 ウトウトしていると、男女の大声が響いてきた。
三日目ともなると一日の成り行きも覚える。これからが今日の始まりだ。

 ド~ン、という重たい響きと共に、天井の丸い穴の隙間から冷たい空気が一気に降りて来た。夜は極度に暑いくせに、昼間はまた極端に寒い。いったいここはどうなっているんだろう……。生き物の生活する場ではない。
 この音がしてからしばらくすると、鉄格子の周囲が急にやかましくなる。臭い息で覗き込む奴。鉄格子の間から触ろうとする奴。小さい奴、大きい奴、男や女。

 「うわぁ~カワイイ! ママ、あれがいい!」

 恐ろしいことに、この一言で連れ出された奴は二度とは帰って来ない。

 次は誰だ?

 鉄の扉が開き、にゅっと男の手が伸びた。その先を良く見ると、あのミカエルと名乗った新入りだった。

 「・・・・」

 ミカエルは私にちょっと目配せしたが、だまってつれて行かれた。正直、首をつかまれると声も出ないからねぇ。

 「あのバカ……」

 ここでは出来るだけ目立たぬが得策だ。目立つ奴はすぐにああやって連れて行かれる。ことの良し悪しは分からないが、とりあえずここに居る限り飲み食いに困まることはない。
私は鉄格子の一番奥に陣取って、目を閉じ、落ち着き払った様子で日がな寝たふりを決め込む。案の定、一度も「カワイイ!」という声はかからなかった。


                     第一章へ…つづく